【感想】「悲運の画家たち」【前期】(嵯峨嵐山文華館、2020/10/24~2021/1/11)レビュー

嵯峨嵐山文華館で開催されている「悲運の画家たち」【前期】(会期:2020年10月24日~2021年1月11日)に行ってきました。この展覧会は、福田美術館との共同開催になっています。

嵯峨嵐山文華館嵯峨嵐山文華館「悲運の画家たち」

 

第一会場となる福田美術館は、「逆境にも負けず」というテーマでしたが、第二会場となる嵯峨嵐山文華館では「忘却にも負けず」というテーマを掲げています。ここでは、悲劇に見舞われた画家の作品とともに、かつては高く評価されながらも現在は忘れられてしまった悲運の画家たちの作品が紹介されていました。

 

展覧会の構成は以下のとおりです。

 

第1章 悲運の近代画家たち
第2章 忘却にも負けず-近代編-
第3章 忘却にも負けず-近世編-

 

第1章は、福田美術館で開催されている「悲運の近代画家たち」の続編となります。最初は、西村五雲の大作《高原の鷹》です。これは屏風の大作で、西村五雲としては希少な屏風作品となります。右隻のイヌワシと左隻のオジロワシとが対となっていて、互いに相手を窺っている様子が独特の世界観を生み出していました。

 

さらに、様々な病気に苦しんだ岸田劉生の《村娘之図》が展示されていました。独特の味わいのある作品で、娘の麗子の友人・お松を描いた秀作です。以前、名古屋市立美術館で鑑賞した「没後90年記念 岸田劉生展」でもっと観たいと思っていた「お松」に関する作品にここで出会えるとは驚きでした。

 

第2章では、近代(明治~昭和)の忘れ去られた画家として、竹内栖鳳の陰に埋もれてしまった山元春挙、活動の全貌がよく分からない山内信一、茶人でもあり最後は入水自殺をした山本竹雲などの作品が展示されていました。

 

山元春挙の《春光》は不思議な作品で、様々な動物や植物などの寄せ集め感が拭えない印象を受けました。それぞれの画題の写実性が優れていることが返って、不調和な感覚を覚えます。また、2代目五姓田芳柳(ごせだ ほうりゅう)の《汐干狩図》も同じく奇妙な感覚に襲われる作品です。ある意味で現代アートを思わせる作品です。

 

そんな中、真野紀太郎(まの きたろう)《バラ》は、花瓶に生けられた3本のバラが描かれていますが、それぞれ、つぼみ・満開・枯れ始めの様子が描かれていて調和のとれた美しい作品になっていました。

 

第3章では、近世(江戸時代)の忘れられた画家たちとして、岸派の祖となる岸駒(がんく)やその息子・岸岱(がんたい)、円山応挙に学んだ源碕(げんき)や山口素絢(そけん)、菊池素空(そくう)などが取り上げられていました。

 

ここでは、長沢芦雪と呉春による《敬亭山・野田春景》や、源碕の気品溢れる美人画と山口素絢の美人画の比較など、見所がありました。そして今回は、特別出品されていた菊池素空の作品も観ることができました。博覧会や官展へ出品しなかったこともあって、ほとんど知られていない画家ですが、なかなかの力量でした。

 

今回の企画展は、福田美術館と嵯峨嵐山文華館との共同開催でしたが、こうした悲運をテーマに掲げたことで、新しい観点から作品を鑑賞することができました。また、嵯峨嵐山文華館も福田美術館と同様に写真撮影が可能でしたので、しっかり写真に収めてきました。

2020年11月25日|ブログのカテゴリー:2020年投稿, 展覧会レビュー