【感想】「クリムト展 ウィーンと日本 1900」(豊田市美術館、2019/7/23~10/14)レビュー

豊田市美術館で開催されている「クリムト展 ウィーンと日本 1900」(会期:2019年7月23日~10月14日)に行ってきました。今年は、グスタフ・クリムトの歿後100年、日本オーストリア友好150周年にあたる年で、この展覧会はその記念展となります。

豊田市美術館「クリムト展 ウィーンと日本 1900」豊田市美術館「クリムト展 ウィーンと日本 1900」

 

本展では、クリムトの国内過去最大となる25点以上の油彩画が観れるとあって注目度も高い展覧会でした。企画構成は、世界屈指のクリムト・コレクションを誇るベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館の監修によります。

 

展覧会の構成は以下のとおりです。

Chapter 1. クリムトとその家族
Chapter 2. 修業時代と劇場装飾
Chapter 3. 私生活
Chapter 4. ウィーンと日本 1900
Chapter 5. ウィーン分離派
Chapter 6. 風景画
Chapter 7. 肖像画
Chapter 8. 生命の円環

 

Chapter 1.では、写真も使いながらクリムトの家族が紹介されています。金工師の父のもとで生まれたクリムトは、幼少時は幸せに暮らしていたと言います。しかし、父と弟のエルンストを相次いで亡くしてから不幸感に苛まれるようになります。ここでは、亡くなった弟エルンストの娘ヘレーネを描いた作品《ヘレーネ・クリムト肖像》が注目作品です。完全な横向きの姿を描いた本作は、フェルナン・クノップフの影響が指摘されていますが、実に魅力的な作品でした。

 

Chapter 2.は、装飾絵画を得意とするクリムトの仕事がよくわかる内容になっています。ここでは、弟のエルンストの作品も展示されていますが、ラファエル前派の影響を受けたと思われる《フランチェスカ・ダ・リミニとパオロ》が印象的でした。早逝しなければどんな作品を制作していたのかと考えると少し残念な気持ちになります。

 

Chapter 3.では、写真やプリント、手紙なども紹介しながら、クリムトの私生活に迫っています。特に、弟の未亡人の妹であるエミーリエ・フレーゲとの関係に焦点が当てられていました。生涯独身で母親や姉妹と暮らしたクリムトですが、複数の女性と関係を持ち、彼には多くの子供がいました。

 

Chapter 4.は、今回の展覧会のタイトルともなっている、ウィーンと日本美術との関係についての章となります。ウィーンに日本美術が知られるきっかけになったのは、1873年のウィーン万国博覧会でした。そして、1900年に開催された第6回ウィーン分離派展では、日本美術コレクターとして知られる実業家アドルフ・フィッシャーの日本美術コレクションが大量に出展されました。その直後、ウィーン分離派のエミール・オルリクが日本へやってきて日本の版画や蒔絵を学ぶことになります。

 

クリムトも日本美術のコレクションを持ち、その影響を受けた作品を残しています。《17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像》という作品の額縁には、クリムトによって描かれた日本風の装飾が施されています。この章の注目作品はクリムトによる《赤子(ゆりかご)》でしょう。この作品では、赤ん坊を覆う大量の衣類の姿に日本の多色刷り木版画の影響が伺えます。

 

Chapter 5.は、ウィーンの保守的な芸術家団体「ウィーン造形芸術家協会」に反旗を翻した、クリムトをリーダーとするウィーン分離派に焦点が当たっています。このあたりから、クリムトの本領発揮という作品が続々と出てきます。《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)》、《ユディトⅠ》、《ベートーヴェン・フリーズ》の原寸大複製による再現展示、《鬼火》、《人生は戦いなり(黄金の騎士)》など、何度も観たくなる作品が目白押しです。

 

Chapter 6.は、クリムトが描く風景画の紹介です。これがクリムトの作品なのかと思うような作品が登場します。ここでは《アッター湖畔のカンマー城Ⅲ》という作品が異彩を放っていました。望遠鏡を使って描いたのではないかと言われている作品で、構図と色使いが見事です。

 

Chapter 7.では、クリムトが描く肖像画やその習作が展示されています。《オイゲニア・プリマフェージの肖像》は、これぞクリムトというきらびやかな装飾的な肖像画ですが、背景には鳳凰と思われる東洋風のモチーフも描きこまれています。

 

最後のChapter 8.では、「生命の円環」をテーマとする作品群が紹介されています。クリムトとフランツ・マッチュは、ウィーン大学の新しい講堂のための学部画の依頼を受け、制作しますが、クリムトの作品はそのあまりの斬新さに大騒動を巻き起こします。

 

最終的に、クリムトの作品は本人が引き取り報酬も返金しています。その後、終戦直後のドイツ兵によってそれらの作品は焼却されてしまい現存していません。なんとも残念なことです。今では、残された習作やプリントから推察するしかありません。そこには裸体の人々が描かれ、生殖から死に至る生命の円環が象徴的に描かれていました。ある意味でクリムトの集大成的な作品であったと思われます。また、ここでは有名な《女の三世代》という作品も展示されていました。

 

今回の展覧会は、クリムトの生涯を俯瞰しながら鑑賞できる貴重で有意義な展覧会となっていました。「クリムト展」は、東京都美術館(東京)と豊田市美術館(愛知)の2箇所での巡回展となっていました。どうして、関西ではなく豊田市美術館だったのかと思いましたが、常設展にエゴン・シーレの作品とオスカー・ココシュカの作品が展示されているのを見て、そうだったのかと思わず反省です。豊田市美術館は、世紀末ウィーンの動向に注目し、ウィーン分離派を中心とした作品をコレクションの出発点にしていたんですね。

 

一方、今年はクリムト関連の重要な展覧会がもうひとつあります。それは「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」という展覧会で、こちらは、国立新美術館(東京)から国立国際美術館(大阪)へと巡回展示しています。こちらのレビューは後日します。クリムト作品を異なる視点から眺めつつ鑑賞できる注目の二大展覧会でした。

2019年09月15日|ブログのカテゴリー:2019年投稿, 展覧会レビュー