【感想』「コレクション1:越境する線描」(国立国際美術館、2020/6/2~10/11)レビュー

国立国際美術館で開催されている「コレクション1:越境する線描」(会期:2020年6月2日~10月11日)を鑑賞しました。この展覧会では、近現代の美術における描線の意味について考え、その可能性を探る試みがなされています。

国立国際美術館

 

ある意味で、この展覧会は一つの論文を、美術館の所蔵品を使った展覧会というスタイルで発表したということになるでしょう。作品リストもそれを意識した作りになっていて、単なる作品リストの域を超えています。

 

展覧会の構成は以下のとおりです。

 

1 線描の諸相
 1-1 経験するデッサン
 1-2 想起するグラフィック
 1-3 スケッチという断片
 1-4 独り歩きする線描
2 立たせて見るか、寝かせて読むか
3 ドローイングの越境

 

最初の「線描の諸相」では、線描を意味する原語として、デッサン、グラフィック、スケッチというものを取り上げ、それらと関連する作品が展示されていました。絵画や彫刻に先立って制作されるデッサンとして、キキ・スミスやジュール・パスキン、ヘンリー・ムア、高松次郎の作品が登場します。

 

「痕跡」を残すという意味合いを持つグラフィックでは、ヴォルスの版画集が取り上げられていました。さらに、時間的な「速さ」を意味するスケッチでは、クリストやヤノベケンジ、パナマレンコたちの作品が、独り歩きする線描では、中原浩大や髙柳恵里、森千裕の作品が展示されていました。

 

これらの中では、森千裕の《文字にからまれる女》やO JUNの《曳航・積載》といった作品が新たな発見でした。心地よい感覚を味わいました。

 

続く「立たせて見るか、寝かせて読むか」では、線描というものをどのような視点から眺めるかをテーマにしています。紙というのは、本来横にして描いたり読んだりしますが、絵画では立たせて鑑賞することになります。こうした観点から、作品を検証しています。

 

泉太郎のインスタレーション《ひさしと団扇》では、巨大な黒板の上にウサギを放し、寝転がってそれを観察しながら気づいたことをひたすら書き込んでいく作品で、制作風景を録画した映像と、完成作品の縮小パネルが平面に設置されていました。

 

また、柳幸典の《ワンダリング・ポジション-モノモリウム・ミニマム1》では、蟻の這った後を赤鉛筆でひたすら記録していった作品で、これも水平に置かれて制作した作品を水平に設置して鑑賞することになります。

 

最後の「ドローイングの越境」では、単に線を引くという意味に限らず、内と外を分けたりそれらを繋げたり、こうした関係性を描くドローイングについて考えさせられる作品が展示されています。

 

村瀬恭子《ユキノエ》では、中央近くに女性が潜んでいますが、それらを取り巻く白い存在や植物の枝らしきものが見えますが、それらが何を意味しているかは分かりません。青を背景にした美しい世界観が描かれた作品です。ここで取り上げられますと、越境したドローイングを象徴しているようにも思えます。

 

他にも、単調な線が描かれたアクリルケースを立体的に組み合わせることで、複雑なパターンが生まれることを示した、金氏撤平《Model of something》などがあります。展示室を出たところには、針金を使ったドローイング作品、今村源《1998-9 ふたつのシダ》もありました。

 

今回のコレクション展は、単なる収蔵品展を超えた、立派なコンセプトを有した展覧会になっていました。ここでも、音声ガイドが役に立ちました。最後にミュージアムショップに立ち寄りますと、重厚な図録『国立国際美術館 所蔵作品選 2012』が割引価格(1,650円⇒790円)で販売されていたので迷わず購入しました。お勧めですが、厚さ33mmで320頁もある重たい図録(約1.2Kg)ですので、持ち帰りには覚悟が必要です。

2020年10月09日|ブログのカテゴリー:2020年投稿, 展覧会レビュー