【感想】「没後90年記念 岸田劉生展」(名古屋市美術館、2020/1/8~3/1)レビュー

名古屋市美術館で開催されている「没後90年記念 岸田劉生展」(会期:2020年1月8日~3月1日)に行ってきました。この展覧会は巡回展で、これまで、東京ステーションギャラリー(2019年8月31日~10月20日)、山口県立美術館(2019年11月2日~12月22日)と巡回し、今回の名古屋市美術館が最終となります。

名古屋市美術館「没後90年記念 岸田劉生展」名古屋市美術館「没後90年記念 岸田劉生展」

 

今回の展覧会は、日本の近代美術の歴史においても独自の道を歩んだ岸田劉生(1891-1929)の作品を年代順に振り返ることができる内容になっています。名古屋会場では、期間限定(2020年1月8日~2月16日)ながら重要文化財に指定されている《麗子微笑》も観ることができます。

 

展覧会の構成は以下のとおりです。

第一章「第二の誕生」まで 1907~1913
第二章「近代的傾向…離れ」から「クラシックの感化」まで 1913~1915
第三章「実在の神秘」を超えて 1915~1918
第四章「東洋の美」への目覚め 1919~1921
第五章「卑近美」と「写実の欠除」を巡って 1922~1926
第六章「新しい余の道」へ 1926~1929

 

第一章(前期展示)は、岸田劉生が16歳の時に描いた水彩風景画《緑》からスタートします。柔らかい色使いと丁寧な描写は天賦の才能を感じさせます。そして、岸田本人が「第二の誕生」と称した、雑誌『白樺』を介して知った後期印象派の作品との出会いは強烈だったようで、その後の画風が一変します。その辺りの変化も展示作品を通して実感できます。

 

第二章では、誰彼となく肖像モデルとして座らせたために「首狩り劉生」と呼ばれた時代の作品が並びます。とにかく、自画像を含めて肖像画が続きます。この頃には、後期印象派の影響は薄れ、岸田劉生独自の画風が追求されています。一方で、ルネサンス期の巨匠たちの影響が肖像画にも現れています。

 

第三章では、岸田劉生が描く大地の風景画が登場します。西洋の風景画では、空が画面の2/3以上を占めている作品がよくありますが、岸田劉生の場合は大地が画面の2/3以上を占めています。力強い大地のエネルギーが溢れている様子が伝わってきます。名古屋会場では、重要文化財の《道路と土手と塀(切通之写生)》は展示されていませんが、他の作品からもそれは十二分に伝わってきます。何とも不思議な感覚です。さらにこの章では、静物画が登場します。岸田劉生らしい、メッセージ性のある独特の静物画が続きます。

 

第四章では、いよいよ麗子の登場です。冒頭でも記したように、名古屋会場では、期間限定ですが重要文化財に指定されている《麗子微笑》も展示されています。娘の麗子を描いた作品は多数ありましたが、やはり出来栄えは《麗子微笑》が群を抜いています。そして、今回の展覧会で知りましたが、当時、麗子の肖像画とともに、村娘と称する女の子(於松)の肖像画も多数描いていたようです。今回の展覧会(前期)では1点だけでしたが、もっと観てみたい気がしました。

 

第五章では、岸田劉生が描く日本画が展示されています。東洋の美に目覚めた劉生は、その魅力を「卑近美」と「写実性の欠除」に見出しました。肉筆浮世絵に観られる、倫理的に美を追求するより醜くグロテスクに描く「卑近美」や、中国の宋元画に観られる、一見稚拙に見える「写実の欠除」などに、東洋的な美を見出したようです。そして、劉生もそれに習った作品を制作しています。《七童図》や《奇声和春光》など、楽しい作品が展示されていました。

 

第六章では、放蕩生活からの再起を目指して鎌倉に移住した後の作品が展示されています。この章は、どことなく物悲しい雰囲気が漂っていましたが、最後に展示されていた、満鉄総裁の邸宅の庭を描いた《満鉄総裁邸の庭》を観ると、印象派風の明るい画風が戻っていたことがわかります。しかしこの後すぐ、劉生は他界(享年38歳)することになります。

 

今回の展覧会は、フランス印象派の影響を受けた多数の日本の洋画家たちとは異なり、独自の道を歩んだ岸田劉生という、一風変わった画家の人生が垣間見れる内容でした。図録は300ページを越える充実した内容で、通常の図版や作品解説に加え、その芸術と生涯について詳細にまとめられた「岸田劉生活動記録」が掲載されています。これは、研究者にとっても役立つ貴重な資料です。

2020年01月14日|ブログのカテゴリー:2020年投稿, 展覧会レビュー