【感想】「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」(豊田市美術館、2019/8/1~10/14)のレビュー

豊田市美術館で開催されている「クリムト展」を鑑賞してから、続いて同美術館で開催されている「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」(会期:2019年8月1日~10月14日)も鑑賞しました。

「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」(豊田市美術館)

 

「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」は、名古屋市と豊田市の全4エリアで開催されていますが、今回は豊田市美術館で展示されている作品のみ鑑賞しました。というのも、クリムト展のチケットには、「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」(豊田会場限定)とセットになったチケット(2,000円)もあったので、今回はこれを購入することにしたからです。

 

「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」は、A:愛知芸術文化センター、N:名古屋市美術館、S:四間道・円頓寺、T:豊田市美術館・豊田市駅周辺の4つのエリアで開催されており、内容は、国際現代美術展、音楽プログラム、パフォーミングアーツ、映像プログラム、ラーニングと多彩な内容から構成されています。

 

そのうち、当日の豊田市美術館では国際現代美術展とラーニングが開催されていました。当美術館のラーニング「しらせる OUTREACH」は、トリエンナーレで発見したことを誰かに伝えようという企画です。これは、ワークショップルームの外から眺めただけなので詳しくは分かりませんが、何かを制作している様子でした。

 

国際現代美術展としては、いくつかの展示がありました。アンナ・フラチョヴァーの《アセンション・マーク I》は、SF的な要素がある作品で、細い管で下から空気を送り込んでブクブクと泡を発生させていました。彼女は、古代神話や東洋思想、チェコの伝統文化や美術に、SF的想像力を織り交ぜた表現を得意としているということでした。一方、《ミッションからの帰還》という作品は、通路の壁に展示されていました。

 

シール・フロイヤーの《Fallen Star》という作品は、スライド映写機から投影された光が天井の鏡に反射して、床に星の形となって投影されるというものでした。彼女は、作用と推測、文字と意味のずれを試すようなインスタレーションを得意とするようです。

 

タリン・サイモンは、身近な事象における組織化の体系に光を当て、そこに潜む権力、権威の構造を明らかにすることを得意とする作家ということで、写真を中心とした様々な作品が展示されていましが、その意味を作品から読み取ることは容易ではありません。

 

高嶺格の《NIMBY (Not in My Back Yard》という作品は、望遠鏡のような映像鑑賞装置になっていて、コインを入れて望遠鏡を覗くと沖縄の基地移設反対のデモの映像が見れるようになっていました。愛知県から望遠鏡を覗くと沖縄の様子が見えるということですね。

 

レニエール・レイバ・ノボの作品は、展示内容が一部中止になっており、内容を変更して展示しているところもありました。壁には、「表現の不自由展・その後」に関する新聞記事の紙面がずらっと並べて展示されていました。

 

スタジオ・ドリフトの《Shylight》という作品は、天井からぶら下がった装置が上下しながら光りながら開いたり閉じたりしていました。クラゲの運動を模しているかのようでした。この作品は、植物の花や葉が光量や温度にあわせて開閉する、就眠運動と呼ばれる動きを詳細に観察・解析して設計されたといいます。鑑賞者は、横や真下からの眺めることができるようになっていました。

 

「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」では、「表現の不自由展・その後」企画が中止に追い込まれ、日本中を巻き込んだ激しい論争が起こりましたが、その名残は豊田会場の展示にも現れていました。作家としては、どこまでも表現の自由を求めたいところですが、偏った歴史認識に基づく作品を市民の税金を投入した公立美術館で公開することの是非についてはまた別の問題があるでしょう。

 

私個人としては、やはり芸術は人間の幸福に繋がるものであって欲しいと願っています。多くの人を不快にしてまで、無制限に表現の自由を追い求めることは、どこか問題があるように感じます。これは現代のマスコミの問題とも重なる部分があるでしょう。

2019年09月16日|ブログのカテゴリー:2019年投稿, 展覧会レビュー