国立国際美術館で開催されている「日本・オーストリア外交樹立150周年記念 ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」(会期:2019年8月27日~12月8日)に行ってきました。今年注目されていたクリムト関連の展覧会として、「クリムト展」(東京都美術館、豊田市美術館)と「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」(国立新美術館、国立国際美術館)の2つの展覧会がありましたが、今回は後者の展覧会のレビューとなります。「クリムト展」の方のレビューは既に公開済みです。
「クリムト展」の方は、クリムトの生涯に焦点を当てた展覧会でしたが、今回の「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」は、ウィーンの世紀末芸術を「近代化への過程」という観点から構成した展覧会でした。画家グスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカ、建築家オットー・ヴァーグナー、アドルフ・ロース、ヨーゼフ・ホフマン、デザイナーのコロマン・モーザーといった芸術家たちの作品を網羅的に鑑賞することができます。
展覧会の構成は以下のとおりです。
1 啓蒙主義時代のウィーン ―近代社会への序章
2 ビーダーマイヤー時代のウィーン ―ウィーン世紀末芸術のモデル
3 リンク通りとウィーン ―新たな芸術パトロンの登場
4 1900年―世紀末ウィーン ―近代都市ウィーンの誕生
第1章では、18世紀の啓蒙主義時代に君臨していたマリア・テレジアとその息子・皇帝ヨーゼフ2世に焦点が当たっています。当時の要塞のような旧市街を描いた絵画などが展示されていました。また、皇帝ヨーゼフ2世の時代に隆盛を極めたと言われるウィーンのフリーメイソンの拠点であるロッジを描いた油彩《ウィーンのフリーメイソンのロッジ》では、入会の儀式の様子やモーツァルトも描き込まれており、神秘のベールに包まれた結社の様子が伺えます。
第2章では、19世紀に入りウィーンは大都市へと発展し、ビーダーマイヤーと呼ばれる時代を迎えたウィーンの芸術に焦点が当てられています。この時代は、国家からの検閲が厳しくなるなど、人々は抑圧された生活を強いられ、各人は私的な生活に関心を向けるようになります。
ビーダーマイヤーという言葉は、少なくとも19世紀後半までは否定的な意味を持たれていたようですが、20世紀に入ると再評価されるようになります。というのも、この時代を通して、それまでの宮廷や貴族に限定されていた芸術が、富裕層を中心に下層市民へと広がっていったからです。
ビーダーマイヤー時代の人々は装飾を削ぎ落としたシンプルなスタイルの家具や工芸品を好み、私的な趣味の時間を楽しむようになります。ユーリウス・シュミット《ウィーンの邸宅で開かれたシューベルトの夜会》では、シューベルトを囲んで楽しむ人々の様子が描かれています。他にも、私的な部屋を描いた絵画や家具、銀器、ドレスなど幅広く展示されていました。そして、ビーダーマイヤー時代を象徴するような、家族の日常生活や農村の風景などを描いた作品が登場します。
第3章では、「リンク通りとウィーン」と題して、リンク通りの周辺に建設される建造物に焦点が当てられています。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、都市を取り囲んでいた市壁を取り壊し、リンク通りと呼ばれる環状の大通りを造ります。そして、リンク通りの周辺には、国会議事堂やウィーン市庁舎、ウィーン大学、ブルク劇場などの建物が続々と建てられます。展覧会場では、こうしたリンク通りの建造物をわかりやすく説明したCG映像も上映されていました。
旧ブルク劇場の様子を描いたクリムトの作品《旧ブルク劇場の観客席》には、100人以上の人々が詳細に描かれており、クリムトがこんな作品も遺していたんだと驚きます。また、クリムトの同郷フランツ・フォン・マッチュや、当時のウィーンで最も有名だった画家ハンス・マカルトの装飾性に溢れる作品も多数展示されていました。
第4章では、ウィーンの世紀末芸術を代表する芸術群が登場します。ウィーンの近代化には建築家のオットー・ヴァーグナーが大きな影響を与えています。展覧会では、あまりに革新的で実現できなかった彼の設計計画や模型なども展示されていました。
そして、クリムトに関しては、初期作品である寓意画から、ウィーン分離派結成後の作品まで、幅広く展示されていました。《寓話(『アレゴリーとエンブレム』のための原画No.75a)》は歴史主義的な作品ですが、第2回分離派展に出品された《パラス・アテナ》は、これぞクリムトという挑戦的な作品でした。他にも、数多くのクリムトの素描が展示されていて、クリムトが素描を通して妖艶な表情を絶えず研究していたことがよく分かります。
また、ウィーン分離派の他の芸術家たちの作品やポスターも多数展示されていました。今回の展覧会の注目作品である、クリムトの《エミーリエ・フレーゲの肖像》に関しては、写真撮影が可能となっていたので多くの方が写真を撮っていました。そして、エゴン・シーレやオスカー・ココシュカの作品も展示されていました。
エゴン・シーレの《自画像》という作品は、展覧会チラシの写真を見る限りでは、その良さがわからなかったのですが、実物を観て、思わずこれは凄いと感じざるを得ませんでした。意外と小さな作品でしたが、光沢のある絵具の配色と筆触が絶妙で、これはエゴン・シーレの他の作品にも共通していました。
以上、「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」を振り返ってみましたが、18世紀から19世紀にかけてのウィーンの歴史を網羅的に振り返る充実した内容の展覧会が日本で開催できた背景には、私たち日本人にとっては幸運な出来事がありました。実は、これらの作品を所蔵しているウィーン・ミュージアムが増改築のために3年にわたって休館するという事情があったのです。本来であればウィーンまで行かなければ鑑賞できない作品群を、日本でまとめて鑑賞できる機会を得たということは、本当に幸運な出来事でした。